できる人はフリーランサーになる!

高度プロフェッショナル制度をご存知でしょうか。
簡単に概要を説明するならば、高いスキルを持った人間に対し、労働時間ではなく成果主義で報酬を払おうというものです。
これは、労働生産氏の低さという欠点を抱えた日本経済への起爆剤として現政権が考えているものです。
マスメディアによって、様々なデメリットは叫ばれているものの、やっと日本にも成果主義が根付いていくのか、と歓迎する向きも当然あります。
しかし、少し立ち止まって考えてみてください。
高度プロフェッショナルってそれ、フリーランスになればいいのではないですか?
ときどき勘違いしている人もいて、「高度プロフェショナルってどうすればなれるんですか?」なんて言う人もいます。
その名称が何となく格好良いと思っているようです。

プロフェッショナルの語源は、「信仰を告白する」意味のラテン語 “profession” に由来します。
古代社会では、「私は神様に仕えます」と公言・宣言・告白する、と言う意味だったのです。
現在では、転じて、「私は、この仕事に生きます」という職業の宣言に用いられるようになりました。
日本語の「仕事」も「仕(つか)える事」と書きます。
これは、雇い主に仕えるだけでなく「神様に仕える」の意味もあるのです。
要するに、プロフェッショナルとは、「仕事を通して神様に仕える人」のことです。
例えば技術士は、
「科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価又はこれらに関する指導の業務」を通じて、「科学技術の向上と国民経済の発展に資することを目的」に存在します。
政治家の言いたいことは良く分りませんが、その「プロフェッショナル」をさらに「高度」にするとは、一体何のことでしょう。

高度プロフェッショナルについて考える

政府の規定する高度プロフェッショナルは、一定の年収条件を満たす労働者ということになっています。
この一定という言葉の意味はなかなかはっきりとしませんが、要は、会社の中で高給をとっている人間に限定されるということでもあります。
つまり、やはりそれは高いスキルを持った人間と考えていいでしょう。
そして政府の考え方をざっと要約するならば、そういった高いスキルを持った人材に関してのみ、労働時間の縛りをなくしてしまおうというもの。
労働時間という縛りが、高い生産性を持つ人材の枷になってはいけないということで、個人の責任において自分の好きなように時間を使って成果を上げてください。
ものすごく単純化するならば、そういう制度のことを言うのです。

それって会社に都合のいい人材ではないですか?

しかしよくよく考えてください。
この高度プロフェッショナル制度には賃金に関する規定などはまったく書かれていません
こちらの方でなんとなく想像して、成果主義で報酬をもらえる制度なのだろうと思っているだけで、成果主義で賃金を払いましょうと書かれているわけではないのです。
まあ普通に考えれば、労働時間に縛られず働きましょうというこの制度が、成果主義と全く関係ない別の概念の中にあるとは思えませんが、あくまでそれは良心的かつ常識的な憶測。
もしかしたら、ただ時間に関係なく労働者を働かせるだけ働かせて、成果を上げさせていながらそれが報酬に結び付かない制度になるかもしれません。
もちろんそれは邪推かもしれません。
しかし、それが邪推であろうとなかろうと、そこには先の見えない不透明性があるのです。

見えない?

成果は報酬に結び付かなければいけない

そう、実は高度プロフェッショナル制度の一番の欠点はそこにあります
この制度は、労働生産性の向上を目指している制度であるため、時間単位の労働ではなく成果主義の労働を目指しているだけであって、報酬については企業に丸投げなのです。
しかし、よく考えてください、成果主義に報酬の概念がないというのはかなり危うい制度です。
確かに企業や日本の国全体で考えれば、成果さえ目指せばいいのかもしれませんが、労働者にとっては、報酬という名の成果に結び付かなければまったく意味はないのです。
もし成果が報酬に反映されないならば、時間通りに働いて、まあまあの給料をもらっている方がましです。

日本の組織では成果主義は根付かない

せっかく政府が出してきた成果主義の社会へ向けての高度プロフェッショナル制度。
労働生産性を上げ結果を出してこその労働、という労働の原点に立ち返るこの制度も、かなりの欠陥制度であることが白日の下になりつつあります。
日本には成果主義は根付かないのでしょうか。
ハッキリ言いますが、日本の組織には成果主義が根付くことはありません。
日本の組織では、皆んな同じで無いと上手く行きません。
人と異なる行動も取ることはできません。
日本の労働者は、高いスキルを有していても、そのスキルを存分に自分の成果として報酬に反映してもらえるような社会で働くことは無理なのです。
しかし、フリーランサーで生きて行くならそんなことは関係無いのです。
成果主義が良いと思う人は、2つの選択肢があります。

外資系の企業で働くか、それともフリーランサーとして起業するかです。

完全成果主義=報酬のフリーランサー

いうまでもないことですが、フリーランサーは完全成果主義であり、その成果は完全に報酬に反映します
長い時間をかけて誰にでもできる仕事を大量にこなしていくことでお金を稼ぐのも自由、短時間で高度な仕事をこなしてお金を稼ぐのも自由。
スキルの高さによって、もしくは社会の需要によってその報酬は変わりますが、働けば働くだけお金が儲かり、休めば休むだけそれは報酬減につながる。
労働=成果=報酬。
そんな、労働の原点ともいうべき働き方。
それこそが、フリーランサーという働き方なのです。

成果報酬

高度プロフェッショナルのスキルはフリーランサーでこそ生きる

かりに、高度プロフェッショナル制度で成果主義が企業で認められそれが報酬に反映したとしましょう。
しかし、よく考えてください、それが組織であり会社であるという時点で「成果=報酬」には絶対になりません。なるはずがないのです。
社員があげた成果に見合う報酬を100%社員に還元していては、会社は成り立ちません。
当たり前すぎる話ですが、社員の上げた成果からは、当然会社の儲けがひかれるのです。
ところが、フリーランサーはそうではありません。
であるならば、個人で高い成果を出すことのできる高度プロフェッショナルの人たちにとって、もっともその成果が報酬に結び付くスタイルはフリーランサーということになるはずです。
だったら、フリーランサーになればいいのです。
それは言い換えれば、あなたの培ってきた高いスキルを自分のために使うのか会社のために使うのかという選択。
まさかその選択において、前者を選ぶわけはないですよね?
高いスキルがあるならフリーランサーになる。
それは、これからの社会において当然の選択肢として存在しているのですから。
フリーランサー